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雨の中を散歩。晴れの日とは違い過去を想い出す

雨

今朝、雨の天候でしたが、いつもの通り日課としている自宅周辺の散歩に出かけました。いつもですと右手には自作の杖を持って出かけますが、今朝のこの雨で左手にもコウモリ傘を差して出かけました。散歩に出かける時間は、朝6時きっかりに家を出発することに決めています。

まずひとつは散歩でどれくらい歩いたか、歩いた後にその歩行時間が測定しやすいからです。それともうひとつは、この時間では周囲に人や車の往来がないので、安全にしかも気楽に歩くことが出来ることです。今朝は歩いている場所は標高でいえば100メートルの高台の団地内です。

周囲を見回すと瀬戸内海には濃霧が立ち込めており、南の方角に晴れた日には見る事のできる遠くの島にある造船所のクレーンや建造中の船体なども霧に閉じ込められて全く見ることが出来ません。また東の方角には、晴れた日には対岸の島の住宅や畑などを眺めることが出来ますが、さすがに今朝の濃霧ではこの景色も全く見る事ができません。

ところで考えてみると雨というものは実に不思議な自然現象です。まず雪と同様に周囲の音を消してしまいますし、風景までも霧の発生を促して隠してしまうのです。ひとり雨の中を歩いていると、自分が静寂の中に取り込まれてしまったような錯覚にさえとらわれてしまいます。

しかしこの静寂の中で自分の世界へ入って行ける楽しみも生まれてきます。小止みなく降る雨を見ていると、いろんなことが自由に想像できて、それ自体で次々と連想が出来るのです。話は変わりますが、私の父が亡くなった時も20年も前になりますが、やはり雨の日でした。

雨の中、家族みんなで父の見送りをしたことが、今でもはっきりと頭の中に記憶として残っています。そんな遠い過去のことまで、雨の日には思い出すことがあるのです。雨は小雨から雨粒が少し大きくなってきたようで、ズボンの裾に地面を雨が叩く跳ね返りがかかってきます。

そろそろ歩いている時間も目標の30分間を過ぎようとしています。今朝は周囲の音も感じられず景色も全く見る事も出来ませんでしたが、いろいろと感じることが出来て充実した散歩となりました。今日も一日頑張れると思いながら自宅目指して帰路につきました。